一件目のお宅で昼ご飯をすっかり御馳走になり一行はいったんセンターへ。スコップとネコを借りて次の現場へ急ぐ。釜石市鵜住居の、国道からちょっとわきに入った住宅街。朝から一人で庭の片づけをしていたお母さん。大変お待たせしました。
こちらのお宅も海からは結構離れている。でも住宅の二階まで完全に浸水した。作業は、もうおうちをいったん取り壊して立て直すので、そのために敷地内を整理しておくとのこと。でっかい岩を取り除く。ネコに乗せても危ないくらい重いので結局リアカーに4人がかりで乗せる。リアカーも悲鳴をあげてます。
こちらのお母さんは町の保育園で保母さんをしているそうです。震災当日も、保育園にいた。実はその保育園では常日ごろから避難訓練を行っていて、そこまでする必要あるの~?と言う人もある中、国道の坂を上った、津波が来ないような高台まで列を作って歩いていく訓練を毎月行っていたそうです。黄色い帽子を被って手をつないで、先生のあとについていく。その訓練の成果が、多くの園児だけでなく、近隣の小中学生の命も救ったそうです。
| 家主さんに許可を頂いて撮影致しました |
と言うのは、大きな揺れがあったあと、電気が止まり情報が途切れ、人々はどうするべきか混乱状態になった。小学校や中学校では、校庭に避難したり屋上に集まったり。おそらく大津波を予見していなかった。
ところが、黄色い帽子が列を成して国道の坂道を登っていく。小中学校の先生はそれを見て、坂の上に逃げることにした。すでに後ろから迫る大津波。列の後ろのほうの生徒は、町や車や人が波にのまれていくのを目撃し、悲鳴をあげたり、恐怖のあまり足がすくんで歩けなくなったりした子もいたそうです。
ところが、黄色い帽子が列を成して国道の坂道を登っていく。小中学校の先生はそれを見て、坂の上に逃げることにした。すでに後ろから迫る大津波。列の後ろのほうの生徒は、町や車や人が波にのまれていくのを目撃し、悲鳴をあげたり、恐怖のあまり足がすくんで歩けなくなったりした子もいたそうです。
それでも、国道の上へ逃げた生徒は全員無事だったそうで、逆に、揺れのあとすぐに親御さんが迎えに来て自宅へ帰った子供たちの中に、犠牲になった子がいたそうです…。
そのころ旦那さんはというと、こちらの自宅いらしたそうですが、津波が来て二階へ避難。二階も危ういと感じベランダに箪笥を出しそこから屋根によじ登り、難を逃れたそうです。すごい冷静な判断!
津波が押し寄せてくる直前、マンホールから下水が噴水のように吹き上がりついにはふたが跳ね上がった、と思ったら国道向こうの大型量販店の建物を飛び越えるように水が、まるでスカートのようにひらひら波打って覆いかぶさってきたそう。すさまじい光景だ…。
被災地の方からお話を聞くとき、おそらくはご家族が皆さんご無事だった方に限られるとは思うんですが、、ご自分の体験談を意外とあっけらかんとした口調でお話しして下さるんですよね…。命が助かった安堵のお気持ちとか、もう人に話して笑い飛ばしてしまいたいお気持ちとか、いろいろおありなんじゃないかと思います。ただこっちはどんな顔をして聞いてればいいのか戸惑いますが…(苦笑)
頂いたりんごをかじりながら、どんなに寒い思いをしたか、着るものを拾い集めて川で洗い焚き火で乾かしたとか、よその家の風呂釜がうちの玄関に居座っていたとか、お父さんは下着を何週間も替えられずボヤいていたとか、、山のふもとの杉の樹はみんな塩でダメになりそれであんなに茶色くなってるんだよとか、
すぐそこにすんでいた足の不自由なお母さんをその息子さんが背負って国道を駆け上がろうとしたけど寸でのとこで、助からなかったとか、あそこのあたりは波打ち際のように家も車も、人も打ち寄せられていたとか…
今日ここに来なければ聞けなかった話。テレビの中やネットで得た情報ではなく、まして映画や小説のお話ではなく、本当の、人間の、生と死の話。
僕は一生忘れないと思う。いや忘れてはいけない。東北で見聞きしたことのひとつひとつを、最大限のアンテナを張り巡らせて、理性的な想像力を駆使して。決して忘れないでいよう。そうでなきゃボランティアなんて観光と一緒だ。
被災して家を破壊された方の多くは、自宅を訪れることがなかなか出来ないそうです。無残な姿になった我が家を、ぐしゃぐしゃになった、かつて一番安らげる場所だった我が家を見ることが辛くて。だから片づけとか、リフォームするとか、またこの土地に住むか知らない場所へ移り住むかとか、そんな重大な決断ができるような状態じゃない方々が多いそうです。
今日また行った活動が、そんな方の背中を押してあげられるようなものであったらと思っています。
見ず知らずのお互いだったけれど今日こうして出会えてお手伝いが出来て、そしてお互いの人生を一歩前に進めることができたなら。
一期一会。
おばさん笑ってたな。東京で地震があったら助けに来てくださいって言っといた。そうだ東京で同じことが起きたらこの体験と見聞をいかせるかな。
津波が押し寄せてくる直前、マンホールから下水が噴水のように吹き上がりついにはふたが跳ね上がった、と思ったら国道向こうの大型量販店の建物を飛び越えるように水が、まるでスカートのようにひらひら波打って覆いかぶさってきたそう。すさまじい光景だ…。
被災地の方からお話を聞くとき、おそらくはご家族が皆さんご無事だった方に限られるとは思うんですが、、ご自分の体験談を意外とあっけらかんとした口調でお話しして下さるんですよね…。命が助かった安堵のお気持ちとか、もう人に話して笑い飛ばしてしまいたいお気持ちとか、いろいろおありなんじゃないかと思います。ただこっちはどんな顔をして聞いてればいいのか戸惑いますが…(苦笑)
頂いたりんごをかじりながら、どんなに寒い思いをしたか、着るものを拾い集めて川で洗い焚き火で乾かしたとか、よその家の風呂釜がうちの玄関に居座っていたとか、お父さんは下着を何週間も替えられずボヤいていたとか、、山のふもとの杉の樹はみんな塩でダメになりそれであんなに茶色くなってるんだよとか、
すぐそこにすんでいた足の不自由なお母さんをその息子さんが背負って国道を駆け上がろうとしたけど寸でのとこで、助からなかったとか、あそこのあたりは波打ち際のように家も車も、人も打ち寄せられていたとか…
今日ここに来なければ聞けなかった話。テレビの中やネットで得た情報ではなく、まして映画や小説のお話ではなく、本当の、人間の、生と死の話。
僕は一生忘れないと思う。いや忘れてはいけない。東北で見聞きしたことのひとつひとつを、最大限のアンテナを張り巡らせて、理性的な想像力を駆使して。決して忘れないでいよう。そうでなきゃボランティアなんて観光と一緒だ。
被災して家を破壊された方の多くは、自宅を訪れることがなかなか出来ないそうです。無残な姿になった我が家を、ぐしゃぐしゃになった、かつて一番安らげる場所だった我が家を見ることが辛くて。だから片づけとか、リフォームするとか、またこの土地に住むか知らない場所へ移り住むかとか、そんな重大な決断ができるような状態じゃない方々が多いそうです。
今日また行った活動が、そんな方の背中を押してあげられるようなものであったらと思っています。
見ず知らずのお互いだったけれど今日こうして出会えてお手伝いが出来て、そしてお互いの人生を一歩前に進めることができたなら。
一期一会。
おばさん笑ってたな。東京で地震があったら助けに来てくださいって言っといた。そうだ東京で同じことが起きたらこの体験と見聞をいかせるかな。
| 一緒に活動したチーム。 |
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