2011年6月28日火曜日

瓦礫 失われた暮らしの集積 恵雨と怒雨

安全長靴にステンレス製の中敷、防塵マスクにゴーグル、ゴム手袋のうえにかさねる軍手‥。
ちょっと大げさかなと思いながらも用意周到にボランティア集合場所へ。駅から徒歩
10~15分くらいにある「いわき市災害救援ボランティアセンター」。
登録をしてオリエンテーションをするんだけど、びっくりしたのが、ボランティア用の保険に向こうで入れてくれるんだ!手厚い、、。僕らはそれを知らずに地元の役所で自費で入ってきた。
必要な道具類もなんだかんだでだいたい借りられる。借りられるのありえないってぃ!アリエナイッティ!
当然数に限りがあるはずだから、自分で用意するべきだけど、こんなに誰でも参加しやすくなってるのか‥。


そして登録等が済んだら今度はマッチング。どこにどんな仕事があって、何人必要か、そういうことが順番に読み上げられていく。そこでそれぞれの希望や装備の都合にあったものに手をあげ派遣先を選ぶ。もちろんシチュエーションや件数にも限りがあるので、あんまり選り好みしてると参加しそびれる可能性も。早い段階でその日の仕事がなくなってしまうこともあるそう。

後述しますが、人手が足りてるわけじゃない。復興作業が終息に向かってるわけでもぜんぜんない。なのにボランティアセンターには仕事に限りがあって、人手があまるなんてことが起きる。
需要と供給の間にまだいかんともしがたい諸問題があるみたいだ、、。

まあ、とにかく僕達は作業を割り当ててもらえた。初めて参加する復興作業は‥、
倒壊した民家のブロック塀などを処理、整理すること。依頼主さんはやや高齢な方らしい上に、ご主人が入院されているそうで、崩れて乱れた塀やお庭が手付かずのままとのこと。

センターから車で40~50分。道すがら点々と半壊した家や建物が視界をよぎる。

作業は、若い男にとってはさしてきついものではなかった。曇り時々小雨で、天候にも恵まれた。

崩れたブロック塀を荷台に積み、地域の集積所に運ぶ。それを何往復か。野球場だったらしい集積所には膨大な量のガレキ、家具、家財道具‥。すべてだ。なにが捨てられてるかと言えば、人間生活に関わる、暮らしの全てが、壊れて、捨ててある。これも後述すると思うけれど、ここの集積所はまだ、燃える燃えない金属コンクリなど、きれいに分別されている。そんなことができそうもない地域にも僕らは後日訪れることになる。

庭の掃除をし、倒れた物干し台を立て直す。ついでに、伸び放題だった雑草を摘み取り‥。ふむ、なかなか繊細な仕事ができた、と思う。帰ってきた家主さんが喜んでくれたらいいな。庭がきれいになったことと、誰かを助けようと思う人間がいるということを。

作業終了直後、雲行きが怪しくなり、車での移動中猛烈な豪雨になった。
小雨なら、気温を下げてくれ埃をしずめてくれる。雨は天の恵みにもなる。だけど狂ったような雨は半壊した家々やゆるんだ地盤に鞭を打つことのなる。不安を募らせる人々の心にも。


ゲーテの戯曲「ファウスト」の台詞に、「生活と自由とを受けるに値する人々とは、生活と自由とを常に戦い取る人々である」とある。
けれど自然の猛威は、時にあまりにも過酷で、人々にとって運命は一方的で強引だ。たとえファウストでも、戦いの最中には、美しい台詞は口にできないだろう。


明日も、行動が希望を紡ぎますように。

2011年6月27日月曜日

いわき市 言葉を綴る

どんな言葉を綴ればいいのかわからないまま、書き出しています。
どうすれば飾らず、巧く見せようとせず、知ったかぶりも訳知り顔もせずまた、誰も傷つけず、たとえささやかでもプラスの力を持った言葉として残せるだろうか。
6月20日から6日間、大変遅れ馳せながら、東日本大震災復興ボランティアに参加してきました。このブログでは6日間の滞在中、見聞きしたこと、参加した復興諸作業について等を記していきたいと思います。



初日は早朝から友人と二人、高速バスで福島入り。友人の知人であるいわき出身の方と合流し、市内を案内してもらう。
地震の爪あとは駅前繁華街にも簡単に見つけられる。アスファルトが沈み込み建物が持ち上がったような段差や裂傷がいたるところに。道行く人々は、最初違和感をおぼえるほど何事もなかったようだ。特に福島は原発のこともあるのに、、。もちろん、いつも通りにするほかないわけだけれど。
それから海岸付近へ。

道路の亀裂、恐ろしい力で剥ぎ取られたコンクリートの岸壁、なぎ倒された防波堤にまたなぎ倒された家や校舎。そして大規模に破壊された家家。

言葉での描写も写真も、その場での実感には届かない。


それでもいわきは復興作業が着実にすすんでいるらしく、再開したばかりのコンビニや飲食店も。このブログを書いている今日も、福島の水族館アクアマリンの再開のめどがたったというニュースがあった。

被害の甚大さを思い知ると同時に、復興への人々の努力を感じられた初日。明日から参加する作業へ、いよいよ気持ちが高まってきた。静かに。

行動が、希望を紡ぎますように。



                                                  つづく