2011年9月23日金曜日

遠野まごころネット 大槌町 夏草 桜

9月14日、前回と同じ池袋発釜石行きの夜行バスに乗る。池袋と釜石って、すごい組み合わせだよね…。きっとそれぞれの住人はお互いの土地のことをほとんど知らない同士なんじゃないかな…。震災がなければこんなとこからあんなとこへ、深夜バスで向かったりはしなかっただろう。人生って不思議。

とにかく、バスに乗り岩手へ。

翌朝6時前に遠野駅着。一睡も出来なかったけど…(ー_ー;) 宿に荷物を預けさっそくボランティアセンターへ歩く。
早朝の遠野。コスモスがあちこちで、初秋の風に揺れてる。咲きたての朝顔も。花が多い。僕にとって遠野はそんな印象の町。



夏が終わってボランティアに参加する人も少し減ったようだけど、それでもここのセンターには結構な人数が集まる。100人はいたと思う。募集人数は下回ってますがね。
何人かのスタッフさんは僕のことを覚えていてくれたようだ。遠野ではいろいろな資材がやや不足気味で、参加者がつけるワッペンも出来れば使い回しして欲しいとのこと。そんなこともあろうかと前回のやつをとっておいた。ガムテで貼っつける。


今回選んだ現場は大槌町。大規模な津波被害に加え火災が多発した町。ビルの上に船が乗っかった映像が印象的だった町。ひょっこりひょうたん島のモデルになった、小さな島が湾内に浮かぶ。
海から300~400メートルくらいか、緩やかな丘、というか段々畑みたいな形で立ち並んでいた家の、お庭の清掃。ガレキや焼けた枝などの撤去と、この時期は草むしりが作業する者をなかなか苦しめている。ひと夏すぎてしまったからね。驚くほどはびこるものだ。







黒く焼け焦げた庭木。このあとのこぎりで切り倒します。







休憩は近くにある小学校の校庭で。すぐそばに仮設の酒屋さんがオープンしてた。ここよりもっと海寄りにお店をかまえていたが津波で壊され、こちらへ移設されたそうです。手書きの看板。
水と、オロナミンCを購入する。

午後はひたすら草むしり。今週は真夏のような日照り。こりゃ焼けるな…。












校庭の、海側に立つ桜の樹たち。
隊長の許可をもらって撮影。ここにも波は来ただろうに。来年の春も、咲いてくれろ。





作業が終わり遠野への帰路につく。酒屋のおじさんが手をふって見送ってくれた。




さて第2のふるさと(笑)遠野へ。町では今週末行われる祭りの準備が進められていて、ときどきどこかから、笛や太鼓の音が聴こえる。

2011年9月14日水曜日

誰かの持ち物 オリジナルの歌 夕暮れ電車



寸断された電車のレールに腰かけて昼食をとる。ちなみに遠野駅前~ボランティアセンター間には朝からやってるコンビニがない。ちょっと離れるとあるけど。だから駅そばの、夜8時までやってるスーパーで前日に、今日の朝ごパンと昼ご飯を買っておかなければならない。日中暑いと腐るんじゃないか…(ー_ー;)  こういうことも行ってみないと分からない。来といてよかった…。

午後は家屋が建っていた場所の、なんて言うのが適切なんだろう、、、片付け。すでに重機で大きな壁やら柱やらは取り除かれて、更地に近い状態だ。家の土台だけが残っていて、その敷地内をきれいにしていく。
生活用品が泥にまみれて散乱している。いつも感じることだけど、せつない。燃えるゴミ、燃えないゴミ、って分けていかれる、誰かの持ち物たち。スコップ団でやったみたいに、そこの住人に立ち会って頂いてある程度の確認作業をしてもらったりは出来ないんだろうか。もう全部、いらないということで依頼をうけたのか、それとももう、ご本人がいらっしゃらないのか、、いてもそこまではしないものなのか、、、。拾い上げたものを、いちいち見つめてしまう。

МDが落ちてたんだ。ラベルに「オリジナル」って書いてあった。自作のオリジナル曲を吹き込んであったんだろうか?バンドか何かやってたのかな。中まで泥が入ってもう聴けないだろうけど、でも自分で作った歌なら、心の中に残ってるよな。  生きていれば。

生きてさえいれば、 ということがどんな風に希望になるのか、安全で何不自由ない生活をしているとぜんぜんよく解からない。だけどそれが本当はいかに異常な麻痺状態かを、思わなければいけないと思う。生きていることをもっと喜べたら、もっとちゃんと感謝ができたら。


…。

ところで、お財布や封筒の中から現金が、お札が何枚も出てきてた。
持ち主をはっきり特定できるもの、たとえば免許証やカード類、賞状や写真、逆に現金や高価そうなものは選り分けてセンターが保管することになってる。作業場のすみにそういったもの達を集めておいておくわけだけど、 こういう時に現金なんかがちゃんと盗まれずに保存されていることが多いことに、しばしば海外のメディアが驚きと称賛の報道をしてますよね…。
まあ褒められといてなんなんですが、、アホじゃないか?ガイジン!ふつーに盗むのかそういうのを。



15時すぎ、今日の活動終了。バスに乗る。また一時間半かけて遠野に帰る。さすがに疲れて帰りの車内はうとうと…。

遠野ボランティアセンターでは作業から帰ると、全体ミーティングをする。各方面であった問題点や疑問点、話しておきたいことなんかを代表者が発言する。〇〇方面に帰るんだけど誰か車に乗せてくれませんかとか、そういうのもアリらしい。
ここのセンターは寝泊りもできる。快適とは言えないかもしれないけど順番を待ってシャワーも浴びられるし、夜はみんなで語りあったり地元の方からの差し入れが配られたり、大きなゲストハウスみたいで楽しそうだ。まあ、問題や不都合もたまにはあるだろうけどね。人間だもの。

さて、班長や同じ班だったみなさんにあいさつして帰る。駅まで徒歩20分。途中土産を買うために立ち寄った酒屋のおじさんと立ち話。酒瓶、全部われたって…。
それから駅のそばにある銭湯にいったら定休日じゃないのに閉まってた…。気分屋らしい。

電車までの時間、駅前の居酒屋に入ったら、なんとさっきの陸前高田方面の隊長さんがやってる店だった!すげー偶然。俺こういう出会い運強いんだよな…。
来月、また来ます。ついでに遠野のお祭りも見ていきます。

ほろ酔いで釜石線に乗る。

ゴトゴト、ゴトゴトと、銀河鉄道を思わせるローカル線が夕闇を走る。

2011年9月5日月曜日

遠野から陸前高田 

朝7時、遠野ボランティアセンターへ。駅の宿からは徒歩20分ほどだ。安全長靴、防塵ゴーグルにマスク、耐油ゴム手袋、それから水を1リットルほど。前回購入したフル装備だ。
朝のミーティングをし、希望の作業場選んでそれぞれの隊に分かれる。そしてバスで現地へ向かう。僕は陸前高田だ。大規模に津波被害があり最も死者行方不明者の多く出た市。
バスに揺られること1時間半。山をいくつも超え…、本当に交通の便が悪いところだ。陸前高田市のボランティアセンターを途中で見かけたが、個人であそこに行くのはなかなか大変そう。ちゃんと必要な人数が集まっているんだろうか…?遠野ですら募集人数を下回って人手が十分なわけではないのに。

…。

バスが山道を抜け平地に出る。すると、あれが始まる。

スクリーンのように流れる車窓を眺めていると、”始まる”という表現が妥当に感じるのです。異常な光景が。車が、家が、ビルや電信柱、路面が、尋常でない形になって散乱する、それがずっと遠くまで広がる、津波の被害地が、始まる。

僕は決まって、座り直す。身構えるんだ。見逃さないように、聞き漏らさないように、嗅ぎ逃さないように、感覚と想像力を駆使して。

広い。今まで見た中で間違いなく最も広い。遠くに、あの松が見えた。


ほどなく作業現場に到着。小高い丘の上にバスが止まる。線路のすぐそばだ。寸断された線路の。この丘の上にまでも津波は来たらしい。

この辺りは重機での作業が比較的進んでいるらしく、更地と言うか、原っぱみたいな状態が広がっている。何度も言わずにはいれないんだけど、とにかく広い。右も左も、ずーっと被災地だ。広大な草原に、家屋の跡が点々と。


さて、10名ほどずつの小班に分かれ作業に入る。陸前高田隊は、どのくらいかな70~80人くらいだったのかな。ちなみに募集人数を下回っています。

今日の作業はまず、海から数百メートルのところにある、丘の上のお宅の敷地内の瓦礫や漂流物の片づけ。丘の上なのに漂流物。
それから付近の側溝の整理。木に登って枝にひっかかった衣類を取ったりもした。

福島、宮城で数か所現場を経験してるせいか、手際がいいぞ俺…。果敢かつ柔軟。勇みすぎるところのある男だが、出し惜しみする理由があるか。どんどんやろう。瓦礫ひとつ運ぶたびに東北が、この国が復興へ前進する。

一緒の班に消防隊の方が二人。やはり頼もしい。ガタイもいいし手際もいい。班長は、若い。24~25か。もうずっと遠野で活動しているが東北の人じゃないらしい。もともとNPOか何かでアフリカで働いていたが震災後こちらに。8月いっぱいでまたアフリカに戻るんだって。アツいな。
いろんな人間がいろんな気持ちを抱いて、ここに集まっている。毎度思うけれど、ここに来れてよかった。少しでもここに居れて。ここに集まった人間の一人になれて。


陽が出て気温が上がってきた。午後は家屋跡で泥を掬い生活用品を拾う。ガレキとかゴミじゃない。家の中の物は全部、誰かの思い出。