2011年8月29日月曜日

岩手編~  遠野、釜石のボランティアセンターとその周辺



8月22日、池袋発の深夜バスに乗り岩手県遠野へ向かう。今回は車中泊を含め2泊3日の旅。次回以降の活動のための下見を兼ねて、遠野ボランティアセンターでの活動に参加する。

21時40分、池袋を出て翌早朝6時遠野駅前到着。ついに来た…。多くの文学者を生んだ地、数々の民話や童話、言い伝えを含んだ語りべのモチーフ、独特の清涼感のある日本の奥座敷、そして今回の震災で甚大な被害を被った岩手県。昔、旅行で訪れたことがあったけれど、こういうかたちで訪れることになるとは。


さて到着後すぐ、駅舎と併設の宿「フォルクローロ遠野」に荷物を半分ほど預ける。ここ遠野駅は、花巻から釜石を結ぶ釜石線のちょうど真ん中くらいなんだけど、とにかく本数が少ない…。だけど、おっ、ちょうどまもなく釜石行の下り電車が来る。こいつに乗って釜石へ。
湿気の多い朝の空気を切って野山の中を走る釜石線。前回宮城に行った時、このあたり出身のタクシーの運転手さんが、あの辺りはもともと陸の孤島って言われちゃうくらい交通の便が悪いからね~…と言っていた。だから復興作業も何かと遅れていると。
交通の便の悪さが移動にどのくらいのタイムロスをもたらすか、ボランティアセンターの集合時間に間に合うにはどんなペースで動けば良いか、宿はどのくらいあるのか、被災地に最も近い宿はどこか、食糧を購入する利便性はどんな具合か、そんなことを実感して把握するのが今回の目的の半分。

缶コーヒーを飲みながら緑の中を行く単線に揺られ1時間ほどで釜石に到着。
…駅前は、なんだか何事もない感じだ。とにかく港のほうに行ってみよう。地図を確認して、港へ続く商店街を歩きだす。海へは1,5km~2kmくらいか。

福島宮城を回った時もそうだったけれど、不思議な体験だ。港へ向け歩くにつれ、倒壊した家屋や商店がぽつ、ぽつと視界に増えていき、気が付くといつの間にか映画のセットの中に迷い込んだみたいに非日常的な世界に自分がいる。
泥にまみれ押しつぶされた日常。形容が月並みになってく。見慣れてしまうのではないかと不安になる。駅から数分で、リュックとスニーカー姿の旅行者が瓦礫の町をてくてく歩いている。

「○○町○○にいます。家族全員無事です」 
「○○で営業再開しました」
「取り壊して下さい。立ち合い希望。○○まで連絡を」
そういう張り紙をたくさん見かけた。


やがて港へ。工事関係車両が通れるようにならした土の道路。その脇のめくれあがったままのコンクリート。崩れた側溝の奥で海水がゴボゴボいっている。あの、悪臭も。


釜石の港にて。               



町中に引き返し宿や食糧品店を探す。大通り沿いにビジネスホテルが2つ。「ホテルサンルート釜石」と、「釜石ベイシティホテル」。2軒とも一階ロビーが津波で破壊されたので2階に仮設フロントを設けて営業している。工事関係や報道関係の方々の利用が多いらしい。ここが被災地最前線の宿泊施設と見うけた。最前線というか真っ只中、か。ベイシティホテルの一階部分に、リニューアル再開したばかりのローソンがある。
あとは再開に向け工事中の店舗が、時々見かけられる。



それから駅前。ビジネスホテル「マルエ」。「釜石ステーションホテル」。あとは昔ながらの民宿が一軒。コンビニが一軒と、大きな海産物センターみたいなのや土産屋は営業している。
釜石ボランティアセンターもこの近くなので活動に参加する人には不便はなさそう。

釜石線から乗り換えて三陸鉄道や山田線が本来なら走っているのだけれど、沿岸線は津波の被害で運休中。そのかわり代行バスが出てる。


さて、昼頃に遠野に戻る。朝早かったから一日が長い&眠い…(ー_ー;)
レンタサイクルを借りて遠野駅周辺のスーパーや宿なんかを見て回って…、明日お手伝いするボランティアセンターへ。
こちらは市の体育館を宿泊所として無料で提供してくれている。要寝袋。
初回につきオリエンテーションを受ける。
なんか…、ボランティアセンターによってシステムがいろいろなんだな…。いわき市とか仙台市ではちょっと疑問をおぼえるほど至れり尽くせりな感じでなんでも無料で貸してくれてたけど、ここはかなり自己完結を求められる。もちろんそれでいい。でもこういうのって市の財政の状況とか協賛してくれる企業の数とか、運営システムの違いとかなんだろうか。
ボランティアセンターならまだいい。こういう違いが避難所や仮設住宅などにもあるんだろうか。いや、あるんだろうな…。


…。


駅周辺には24時間営業のコンビニがないので、今日のうちにスーパーで明日の朝ごはんと昼ごはんを買い、宿へ。水も。こういうことも現地に来ないとわかなよな~。やはり一度来てよかった。


その後ちょっと一眠りして、、小粋な飲み屋で一杯…。