2011年9月14日水曜日
誰かの持ち物 オリジナルの歌 夕暮れ電車
寸断された電車のレールに腰かけて昼食をとる。ちなみに遠野駅前~ボランティアセンター間には朝からやってるコンビニがない。ちょっと離れるとあるけど。だから駅そばの、夜8時までやってるスーパーで前日に、今日の朝ごパンと昼ご飯を買っておかなければならない。日中暑いと腐るんじゃないか…(ー_ー;) こういうことも行ってみないと分からない。来といてよかった…。
午後は家屋が建っていた場所の、なんて言うのが適切なんだろう、、、片付け。すでに重機で大きな壁やら柱やらは取り除かれて、更地に近い状態だ。家の土台だけが残っていて、その敷地内をきれいにしていく。
生活用品が泥にまみれて散乱している。いつも感じることだけど、せつない。燃えるゴミ、燃えないゴミ、って分けていかれる、誰かの持ち物たち。スコップ団でやったみたいに、そこの住人に立ち会って頂いてある程度の確認作業をしてもらったりは出来ないんだろうか。もう全部、いらないということで依頼をうけたのか、それとももう、ご本人がいらっしゃらないのか、、いてもそこまではしないものなのか、、、。拾い上げたものを、いちいち見つめてしまう。
МDが落ちてたんだ。ラベルに「オリジナル」って書いてあった。自作のオリジナル曲を吹き込んであったんだろうか?バンドか何かやってたのかな。中まで泥が入ってもう聴けないだろうけど、でも自分で作った歌なら、心の中に残ってるよな。 生きていれば。
生きてさえいれば、 ということがどんな風に希望になるのか、安全で何不自由ない生活をしているとぜんぜんよく解からない。だけどそれが本当はいかに異常な麻痺状態かを、思わなければいけないと思う。生きていることをもっと喜べたら、もっとちゃんと感謝ができたら。
…。
ところで、お財布や封筒の中から現金が、お札が何枚も出てきてた。
持ち主をはっきり特定できるもの、たとえば免許証やカード類、賞状や写真、逆に現金や高価そうなものは選り分けてセンターが保管することになってる。作業場のすみにそういったもの達を集めておいておくわけだけど、 こういう時に現金なんかがちゃんと盗まれずに保存されていることが多いことに、しばしば海外のメディアが驚きと称賛の報道をしてますよね…。
まあ褒められといてなんなんですが、、アホじゃないか?ガイジン!ふつーに盗むのかそういうのを。
15時すぎ、今日の活動終了。バスに乗る。また一時間半かけて遠野に帰る。さすがに疲れて帰りの車内はうとうと…。
遠野ボランティアセンターでは作業から帰ると、全体ミーティングをする。各方面であった問題点や疑問点、話しておきたいことなんかを代表者が発言する。〇〇方面に帰るんだけど誰か車に乗せてくれませんかとか、そういうのもアリらしい。
ここのセンターは寝泊りもできる。快適とは言えないかもしれないけど順番を待ってシャワーも浴びられるし、夜はみんなで語りあったり地元の方からの差し入れが配られたり、大きなゲストハウスみたいで楽しそうだ。まあ、問題や不都合もたまにはあるだろうけどね。人間だもの。
さて、班長や同じ班だったみなさんにあいさつして帰る。駅まで徒歩20分。途中土産を買うために立ち寄った酒屋のおじさんと立ち話。酒瓶、全部われたって…。
それから駅のそばにある銭湯にいったら定休日じゃないのに閉まってた…。気分屋らしい。
電車までの時間、駅前の居酒屋に入ったら、なんとさっきの陸前高田方面の隊長さんがやってる店だった!すげー偶然。俺こういう出会い運強いんだよな…。
来月、また来ます。ついでに遠野のお祭りも見ていきます。
ほろ酔いで釜石線に乗る。
ゴトゴト、ゴトゴトと、銀河鉄道を思わせるローカル線が夕闇を走る。
2011年9月5日月曜日
遠野から陸前高田
朝7時、遠野ボランティアセンターへ。駅の宿からは徒歩20分ほどだ。安全長靴、防塵ゴーグルにマスク、耐油ゴム手袋、それから水を1リットルほど。前回購入したフル装備だ。
朝のミーティングをし、希望の作業場選んでそれぞれの隊に分かれる。そしてバスで現地へ向かう。僕は陸前高田だ。大規模に津波被害があり最も死者行方不明者の多く出た市。
バスに揺られること1時間半。山をいくつも超え…、本当に交通の便が悪いところだ。陸前高田市のボランティアセンターを途中で見かけたが、個人であそこに行くのはなかなか大変そう。ちゃんと必要な人数が集まっているんだろうか…?遠野ですら募集人数を下回って人手が十分なわけではないのに。
…。
バスが山道を抜け平地に出る。すると、あれが始まる。
スクリーンのように流れる車窓を眺めていると、”始まる”という表現が妥当に感じるのです。異常な光景が。車が、家が、ビルや電信柱、路面が、尋常でない形になって散乱する、それがずっと遠くまで広がる、津波の被害地が、始まる。
僕は決まって、座り直す。身構えるんだ。見逃さないように、聞き漏らさないように、嗅ぎ逃さないように、感覚と想像力を駆使して。
広い。今まで見た中で間違いなく最も広い。遠くに、あの松が見えた。
ほどなく作業現場に到着。小高い丘の上にバスが止まる。線路のすぐそばだ。寸断された線路の。この丘の上にまでも津波は来たらしい。
この辺りは重機での作業が比較的進んでいるらしく、更地と言うか、原っぱみたいな状態が広がっている。何度も言わずにはいれないんだけど、とにかく広い。右も左も、ずーっと被災地だ。広大な草原に、家屋の跡が点々と。
さて、10名ほどずつの小班に分かれ作業に入る。陸前高田隊は、どのくらいかな70~80人くらいだったのかな。ちなみに募集人数を下回っています。
今日の作業はまず、海から数百メートルのところにある、丘の上のお宅の敷地内の瓦礫や漂流物の片づけ。丘の上なのに漂流物。
それから付近の側溝の整理。木に登って枝にひっかかった衣類を取ったりもした。
福島、宮城で数か所現場を経験してるせいか、手際がいいぞ俺…。果敢かつ柔軟。勇みすぎるところのある男だが、出し惜しみする理由があるか。どんどんやろう。瓦礫ひとつ運ぶたびに東北が、この国が復興へ前進する。
一緒の班に消防隊の方が二人。やはり頼もしい。ガタイもいいし手際もいい。班長は、若い。24~25か。もうずっと遠野で活動しているが東北の人じゃないらしい。もともとNPOか何かでアフリカで働いていたが震災後こちらに。8月いっぱいでまたアフリカに戻るんだって。アツいな。
いろんな人間がいろんな気持ちを抱いて、ここに集まっている。毎度思うけれど、ここに来れてよかった。少しでもここに居れて。ここに集まった人間の一人になれて。
陽が出て気温が上がってきた。午後は家屋跡で泥を掬い生活用品を拾う。ガレキとかゴミじゃない。家の中の物は全部、誰かの思い出。
朝のミーティングをし、希望の作業場選んでそれぞれの隊に分かれる。そしてバスで現地へ向かう。僕は陸前高田だ。大規模に津波被害があり最も死者行方不明者の多く出た市。
バスに揺られること1時間半。山をいくつも超え…、本当に交通の便が悪いところだ。陸前高田市のボランティアセンターを途中で見かけたが、個人であそこに行くのはなかなか大変そう。ちゃんと必要な人数が集まっているんだろうか…?遠野ですら募集人数を下回って人手が十分なわけではないのに。
…。
バスが山道を抜け平地に出る。すると、あれが始まる。
スクリーンのように流れる車窓を眺めていると、”始まる”という表現が妥当に感じるのです。異常な光景が。車が、家が、ビルや電信柱、路面が、尋常でない形になって散乱する、それがずっと遠くまで広がる、津波の被害地が、始まる。
僕は決まって、座り直す。身構えるんだ。見逃さないように、聞き漏らさないように、嗅ぎ逃さないように、感覚と想像力を駆使して。
広い。今まで見た中で間違いなく最も広い。遠くに、あの松が見えた。
ほどなく作業現場に到着。小高い丘の上にバスが止まる。線路のすぐそばだ。寸断された線路の。この丘の上にまでも津波は来たらしい。
この辺りは重機での作業が比較的進んでいるらしく、更地と言うか、原っぱみたいな状態が広がっている。何度も言わずにはいれないんだけど、とにかく広い。右も左も、ずーっと被災地だ。広大な草原に、家屋の跡が点々と。
さて、10名ほどずつの小班に分かれ作業に入る。陸前高田隊は、どのくらいかな70~80人くらいだったのかな。ちなみに募集人数を下回っています。
今日の作業はまず、海から数百メートルのところにある、丘の上のお宅の敷地内の瓦礫や漂流物の片づけ。丘の上なのに漂流物。
それから付近の側溝の整理。木に登って枝にひっかかった衣類を取ったりもした。
福島、宮城で数か所現場を経験してるせいか、手際がいいぞ俺…。果敢かつ柔軟。勇みすぎるところのある男だが、出し惜しみする理由があるか。どんどんやろう。瓦礫ひとつ運ぶたびに東北が、この国が復興へ前進する。
一緒の班に消防隊の方が二人。やはり頼もしい。ガタイもいいし手際もいい。班長は、若い。24~25か。もうずっと遠野で活動しているが東北の人じゃないらしい。もともとNPOか何かでアフリカで働いていたが震災後こちらに。8月いっぱいでまたアフリカに戻るんだって。アツいな。
いろんな人間がいろんな気持ちを抱いて、ここに集まっている。毎度思うけれど、ここに来れてよかった。少しでもここに居れて。ここに集まった人間の一人になれて。
陽が出て気温が上がってきた。午後は家屋跡で泥を掬い生活用品を拾う。ガレキとかゴミじゃない。家の中の物は全部、誰かの思い出。
2011年8月29日月曜日
岩手編~ 遠野、釜石のボランティアセンターとその周辺
8月22日、池袋発の深夜バスに乗り岩手県遠野へ向かう。今回は車中泊を含め2泊3日の旅。次回以降の活動のための下見を兼ねて、遠野ボランティアセンターでの活動に参加する。
21時40分、池袋を出て翌早朝6時遠野駅前到着。ついに来た…。多くの文学者を生んだ地、数々の民話や童話、言い伝えを含んだ語りべのモチーフ、独特の清涼感のある日本の奥座敷、そして今回の震災で甚大な被害を被った岩手県。昔、旅行で訪れたことがあったけれど、こういうかたちで訪れることになるとは。
さて到着後すぐ、駅舎と併設の宿「フォルクローロ遠野」に荷物を半分ほど預ける。ここ遠野駅は、花巻から釜石を結ぶ釜石線のちょうど真ん中くらいなんだけど、とにかく本数が少ない…。だけど、おっ、ちょうどまもなく釜石行の下り電車が来る。こいつに乗って釜石へ。
湿気の多い朝の空気を切って野山の中を走る釜石線。前回宮城に行った時、このあたり出身のタクシーの運転手さんが、あの辺りはもともと陸の孤島って言われちゃうくらい交通の便が悪いからね~…と言っていた。だから復興作業も何かと遅れていると。交通の便の悪さが移動にどのくらいのタイムロスをもたらすか、ボランティアセンターの集合時間に間に合うにはどんなペースで動けば良いか、宿はどのくらいあるのか、被災地に最も近い宿はどこか、食糧を購入する利便性はどんな具合か、そんなことを実感して把握するのが今回の目的の半分。
缶コーヒーを飲みながら緑の中を行く単線に揺られ1時間ほどで釜石に到着。
…駅前は、なんだか何事もない感じだ。とにかく港のほうに行ってみよう。地図を確認して、港へ続く商店街を歩きだす。海へは1,5km~2kmくらいか。
福島宮城を回った時もそうだったけれど、不思議な体験だ。港へ向け歩くにつれ、倒壊した家屋や商店がぽつ、ぽつと視界に増えていき、気が付くといつの間にか映画のセットの中に迷い込んだみたいに非日常的な世界に自分がいる。
泥にまみれ押しつぶされた日常。形容が月並みになってく。見慣れてしまうのではないかと不安になる。駅から数分で、リュックとスニーカー姿の旅行者が瓦礫の町をてくてく歩いている。
「○○町○○にいます。家族全員無事です」
「○○で営業再開しました」
「取り壊して下さい。立ち合い希望。○○まで連絡を」
そういう張り紙をたくさん見かけた。
やがて港へ。工事関係車両が通れるようにならした土の道路。その脇のめくれあがったままのコンクリート。崩れた側溝の奥で海水がゴボゴボいっている。あの、悪臭も。
釜石の港にて。
町中に引き返し宿や食糧品店を探す。大通り沿いにビジネスホテルが2つ。「ホテルサンルート釜石」と、「釜石ベイシティホテル」。2軒とも一階ロビーが津波で破壊されたので2階に仮設フロントを設けて営業している。工事関係や報道関係の方々の利用が多いらしい。ここが被災地最前線の宿泊施設と見うけた。最前線というか真っ只中、か。ベイシティホテルの一階部分に、リニューアル再開したばかりのローソンがある。
それから駅前。ビジネスホテル「マルエ」。「釜石ステーションホテル」。あとは昔ながらの民宿が一軒。コンビニが一軒と、大きな海産物センターみたいなのや土産屋は営業している。
釜石ボランティアセンターもこの近くなので活動に参加する人には不便はなさそう。
釜石線から乗り換えて三陸鉄道や山田線が本来なら走っているのだけれど、沿岸線は津波の被害で運休中。そのかわり代行バスが出てる。
さて、昼頃に遠野に戻る。朝早かったから一日が長い&眠い…(ー_ー;)
レンタサイクルを借りて遠野駅周辺のスーパーや宿なんかを見て回って…、明日お手伝いするボランティアセンターへ。
こちらは市の体育館を宿泊所として無料で提供してくれている。要寝袋。
初回につきオリエンテーションを受ける。
なんか…、ボランティアセンターによってシステムがいろいろなんだな…。いわき市とか仙台市ではちょっと疑問をおぼえるほど至れり尽くせりな感じでなんでも無料で貸してくれてたけど、ここはかなり自己完結を求められる。もちろんそれでいい。でもこういうのって市の財政の状況とか協賛してくれる企業の数とか、運営システムの違いとかなんだろうか。
ボランティアセンターならまだいい。こういう違いが避難所や仮設住宅などにもあるんだろうか。いや、あるんだろうな…。
…。
駅周辺には24時間営業のコンビニがないので、今日のうちにスーパーで明日の朝ごはんと昼ごはんを買い、宿へ。水も。こういうことも現地に来ないとわかなよな~。やはり一度来てよかった。
その後ちょっと一眠りして、、小粋な飲み屋で一杯…。
さて、昼頃に遠野に戻る。朝早かったから一日が長い&眠い…(ー_ー;)
レンタサイクルを借りて遠野駅周辺のスーパーや宿なんかを見て回って…、明日お手伝いするボランティアセンターへ。
こちらは市の体育館を宿泊所として無料で提供してくれている。要寝袋。
初回につきオリエンテーションを受ける。
なんか…、ボランティアセンターによってシステムがいろいろなんだな…。いわき市とか仙台市ではちょっと疑問をおぼえるほど至れり尽くせりな感じでなんでも無料で貸してくれてたけど、ここはかなり自己完結を求められる。もちろんそれでいい。でもこういうのって市の財政の状況とか協賛してくれる企業の数とか、運営システムの違いとかなんだろうか。
ボランティアセンターならまだいい。こういう違いが避難所や仮設住宅などにもあるんだろうか。いや、あるんだろうな…。
…。
駅周辺には24時間営業のコンビニがないので、今日のうちにスーパーで明日の朝ごはんと昼ごはんを買い、宿へ。水も。こういうことも現地に来ないとわかなよな~。やはり一度来てよかった。
その後ちょっと一眠りして、、小粋な飲み屋で一杯…。
2011年7月19日火曜日
まとめ…それから次の行動へ
3月11日、14時46分。僕は新宿にある貸し音楽スタジオにいた。新しく出来た曲のデモ録音を終え、ほっと息をついた時だった。揺れを感じ、そしてすぐその揺れが普通の大きさじゃないことに気づいた。その後の行動は意外に冷静だった。三味線と財布を持って一旦外へ。落下物などに気をつけて安全な場所に出た。すぐに思い浮かんだのは、家に一人でいるはずの母のことだった。父の職場は比較的新しい建物らしく(実際は違った‥!)このくらいの揺れなら崩壊することはないだろう。でも、我が家はボロイ。倒壊することはないにしても‥。まだ揺れが続いてるなか家に電話をした。このときはまだつながった。母が出る。ものすごい揺れだが一応無事とのこと。
さて駅へ向かうと街はすでに大混乱。未曾有の、っていう感じだ。我が家へは3キロほどの道程なので、するすると人の間をすりぬけて帰路につく。
ああしてる間に、東日本沿岸部には津波が近づいてきてたんだな‥。
想像力 -
自分の身に起きたわけではないことを、自分の身に置き換える、理性的な想像力。それが他者と自分をつなぐ最も有効なツールだと、僕は思う。
ボランティアをするなんて、自己満足だと言う人がいる。偽善だと。まして自己犠牲などと。
確かに「利他」にはそれを補って余りある充実感が、満足がしばしば得られる。人間というものはその存在の構成上、主観の合意のない利他は有り得ない。だから、人間は皆、自分のために生きている、一部の冷笑主義者やペシミストはそう解釈するだろう。だけど、「主観の合意」は利己だろうか?人が喜ぶ姿を見て喜ばしく思うのは、人の幸せを願う心というものは、主観の利他的性能の副産物なんじゃないか?
いつも、いつも、想像できる自分でいたい。家を、仕事を、大切な人を失った、傷ついた心のことを。テレビでは連日、復興へ向かう明るいニュースが報道される。だけど、僕は想像したい。一番傷ついている人の気持ちをこそ。一番どん底にいる人々のことを、決して見落とさずにいたい。何にも出来ないかも知れないけれど。
独りきりのおじさんは家族と連絡がとれただろうか。耕して植えた苗は無事に根をおろしただろうか。半壊した家に、家族の笑顔は戻ったのだろうか。沈んだままの船や車は引き揚げられるんだろうか。その中に閉じ込められたままの人たちはどうなるのか。まだ見つからない何千という人々は、いつ家族のもとに帰れるんだろう。大切な人を失った人の心は、いつになれば癒されるんだろう。
これからこの国は、どうやってこの国難を乗り切るんだろう。
そして、僕には何が出来るんだろう。
今、やれることを、そして明日、出来るようになることを、ひとつずつ紡いでいこう。
今回お世話になったボランティアセンター 団体 人 ‥
・いわき市災害救援ボランティアセンター
http://www.iwaki-shakyo.com/saigaiborasen.html
0246-22-5501
・仙台市津波災害ボランティアセンター
http://www.ssvc.ne.jp/?p=1575
022-231-1326
今回の旅を全面的にコーディネートして下さった福島在住の知人、パンダさん(もちろん本名じゃないよ)このヒトがいなければここまでの経験は出来ませんでした。多謝。「パンダの旅]http://pandanotabi.blog89.fc2.com/ 震災直後から単独で復興活動に走り回ってたかたです。貴重な体験談や、がれきの中から助けたネコのお話なんかもありますよ。
それからもう有名な「スコップ団」blog.goo.ne.jp/cheapdust毎週末復興作業に奔走し続けている団体。参加者も急増しているらしいです。
さてさてパソコンが不調だったため書き上げるまでにずいぶん時間が空きましたが…、その間に岩手行きが決まりました。明日の夜から遠野へ行って参ります。半分下見に。それでまた来月、岩手から宮城に行こうかと。その件はまたこちらのブログで。
さて駅へ向かうと街はすでに大混乱。未曾有の、っていう感じだ。我が家へは3キロほどの道程なので、するすると人の間をすりぬけて帰路につく。
ああしてる間に、東日本沿岸部には津波が近づいてきてたんだな‥。
想像力 -
自分の身に起きたわけではないことを、自分の身に置き換える、理性的な想像力。それが他者と自分をつなぐ最も有効なツールだと、僕は思う。
ボランティアをするなんて、自己満足だと言う人がいる。偽善だと。まして自己犠牲などと。
確かに「利他」にはそれを補って余りある充実感が、満足がしばしば得られる。人間というものはその存在の構成上、主観の合意のない利他は有り得ない。だから、人間は皆、自分のために生きている、一部の冷笑主義者やペシミストはそう解釈するだろう。だけど、「主観の合意」は利己だろうか?人が喜ぶ姿を見て喜ばしく思うのは、人の幸せを願う心というものは、主観の利他的性能の副産物なんじゃないか?
いつも、いつも、想像できる自分でいたい。家を、仕事を、大切な人を失った、傷ついた心のことを。テレビでは連日、復興へ向かう明るいニュースが報道される。だけど、僕は想像したい。一番傷ついている人の気持ちをこそ。一番どん底にいる人々のことを、決して見落とさずにいたい。何にも出来ないかも知れないけれど。
独りきりのおじさんは家族と連絡がとれただろうか。耕して植えた苗は無事に根をおろしただろうか。半壊した家に、家族の笑顔は戻ったのだろうか。沈んだままの船や車は引き揚げられるんだろうか。その中に閉じ込められたままの人たちはどうなるのか。まだ見つからない何千という人々は、いつ家族のもとに帰れるんだろう。大切な人を失った人の心は、いつになれば癒されるんだろう。
これからこの国は、どうやってこの国難を乗り切るんだろう。
そして、僕には何が出来るんだろう。
今、やれることを、そして明日、出来るようになることを、ひとつずつ紡いでいこう。
今回お世話になったボランティアセンター 団体 人 ‥
・いわき市災害救援ボランティアセンター
http://www.iwaki-shakyo.com/saigaiborasen.html
0246-22-5501
・仙台市津波災害ボランティアセンター
http://www.ssvc.ne.jp/?p=1575
022-231-1326
今回の旅を全面的にコーディネートして下さった福島在住の知人、パンダさん(もちろん本名じゃないよ)このヒトがいなければここまでの経験は出来ませんでした。多謝。「パンダの旅]http://pandanotabi.blog89.fc2.com/ 震災直後から単独で復興活動に走り回ってたかたです。貴重な体験談や、がれきの中から助けたネコのお話なんかもありますよ。
それからもう有名な「スコップ団」blog.goo.ne.jp/cheapdust毎週末復興作業に奔走し続けている団体。参加者も急増しているらしいです。
さてさてパソコンが不調だったため書き上げるまでにずいぶん時間が空きましたが…、その間に岩手行きが決まりました。明日の夜から遠野へ行って参ります。半分下見に。それでまた来月、岩手から宮城に行こうかと。その件はまたこちらのブログで。
2011年7月18日月曜日
スコップ団後編 宮城最終日 この国の美と誠
前半少し飛ばしすぎた‥。
瓦礫の取り除きに夢中になってたが取り除かれた下は、もともと土かと思っていたがコンクリート地で、今度はこの10センチほど積もった土、海砂をスコップでひたすら掬い取る。
防塵マスクが息苦しい。ゴーグルもすぐくもる。持ってきた水ももうすぐなくなりそうだ‥。やばい。少ししゃがむ‥。
それでもふと室内の清掃をしてる団長のほうを見ると‥、床が‥!ピカピカ、とまではいかないけどすげーきれいになってる!あれなんて言う器具なんだろう、高圧の水が吹き出る洗浄器。あれで床をびゅびゅーっと。blog.goo.ne.jp/cheapdust/d/20110626
あとで聞いた話だけど今日の現場はかなりハードな方だったらしい。結局一日では完全に終わらなかった。でも、ここに住む家族が、あとは自分達でやれる、作業量的にも精神的にも、ここまでくればあとは自分達で頑張れる、そういうとこまで手伝えれば‥。
作業終了後、家の皆さんからご挨拶があった。こんなにきれいにしてくれるなんて思ってなかった、あとは家族で力をあわせてがんばります、そんなことをおっしゃってた。
実はもう、やはりこの家にはもう住まないことにしようと考えてたらしい。家族の中でも意見がわかれている様子で‥。確かにここはもう地盤も沈み、危険なことがわかってしまっている土地。回りですぐそばでたくさんの犠牲者が出た地域‥。せっかくきれいになったけれど、情や思い入れだけでは生活の場所を決められない、、。これからまだ、大小たくさんの苦悩や決断を迫られるんだろう。
さてそろそろ解散の時間。短い時間だったけどすごい有意義な一日になった。だんちょーや団スタッフの皆さんにもお世話になりました。一緒に作業に参加した人々も、境遇は様々だけどみんな復興に向けて、具体的な何かがしたくて集まった人ばかり。動いた分だけ、前に進めるような。誰かの背中を押せるような、具体的な何かを。
なんかすごいな。初めて会った人たちなのに。すぐに打ち解けられる。お互いに、お互いの姿勢に、素直に感心出来る。遠方からはるばる、とか。自分も被災者なのに、とか。
団のスタッフの方に、仙台駅まで車で送って頂けることになって、乗り合わせた車内で親しく話をした男性は、北海道から一人で来たらしい。今朝、フェリーで。宿は仙台のカプセルホテル。昨日僕らが泊まったとこだ(笑)被災地周辺はどこも宿がいっぱいで、なかなかとれないみたいですねと言うと、 ボランティアに来るんだから宿なんて粗末なもんでいいのに、市の体育館なんかで雑魚寝でもいいのになぁ、と言っていた。
こういうの、なんて言ったら良いか‥。
公に奉ずる精神。
ちょっとずつの自己犠牲を大勢分集めて、誰かのために動き、祈り、大きなことをなしとげようとする、その一人になろうとする、至誠。
この国にはそんな想いを持った人間がたくさんいて、この国難に立ち向かっている。過去の様々な困難、天災でも戦争でも、そうやって日本人は何度も立ち上がってきた。世界が驚くようなスピードで。
なんだろうこの気持ちは。なんか人助けのつもりで来たのに自分がエネルギーを貰ってばっかりだ。しかもこのブログどうやってまとめたらいいんだろうか。
いや別にまとめなくていいのか、、。またすぐ行くしな‥。またスコップ団にも参加させて貰おう。気温が上がって皆さん大変だろうな。僕は暑さ寒さには強いし体力には自信があるんだ。ペース配分だけ気をつけよう。
それから岩手にも行きたい。大好きな岩手。人手が足りないとこはまだたくさんあるんだろうな。報道されてないけど千葉や茨城も大変なんだろう。いろんな人に話をして、協力してくれる人を増やそう。また違う友達も誘ってみよう。
一人で出来ることは本当に小さなことだろうけど、この美しい国の、心ある人間の一人に僕はなりたい。
もうちょっとつづく
瓦礫の取り除きに夢中になってたが取り除かれた下は、もともと土かと思っていたがコンクリート地で、今度はこの10センチほど積もった土、海砂をスコップでひたすら掬い取る。
防塵マスクが息苦しい。ゴーグルもすぐくもる。持ってきた水ももうすぐなくなりそうだ‥。やばい。少ししゃがむ‥。
それでもふと室内の清掃をしてる団長のほうを見ると‥、床が‥!ピカピカ、とまではいかないけどすげーきれいになってる!あれなんて言う器具なんだろう、高圧の水が吹き出る洗浄器。あれで床をびゅびゅーっと。blog.goo.ne.jp/cheapdust/d/20110626
あとで聞いた話だけど今日の現場はかなりハードな方だったらしい。結局一日では完全に終わらなかった。でも、ここに住む家族が、あとは自分達でやれる、作業量的にも精神的にも、ここまでくればあとは自分達で頑張れる、そういうとこまで手伝えれば‥。
作業終了後、家の皆さんからご挨拶があった。こんなにきれいにしてくれるなんて思ってなかった、あとは家族で力をあわせてがんばります、そんなことをおっしゃってた。
実はもう、やはりこの家にはもう住まないことにしようと考えてたらしい。家族の中でも意見がわかれている様子で‥。確かにここはもう地盤も沈み、危険なことがわかってしまっている土地。回りですぐそばでたくさんの犠牲者が出た地域‥。せっかくきれいになったけれど、情や思い入れだけでは生活の場所を決められない、、。これからまだ、大小たくさんの苦悩や決断を迫られるんだろう。
さてそろそろ解散の時間。短い時間だったけどすごい有意義な一日になった。だんちょーや団スタッフの皆さんにもお世話になりました。一緒に作業に参加した人々も、境遇は様々だけどみんな復興に向けて、具体的な何かがしたくて集まった人ばかり。動いた分だけ、前に進めるような。誰かの背中を押せるような、具体的な何かを。
なんかすごいな。初めて会った人たちなのに。すぐに打ち解けられる。お互いに、お互いの姿勢に、素直に感心出来る。遠方からはるばる、とか。自分も被災者なのに、とか。
団のスタッフの方に、仙台駅まで車で送って頂けることになって、乗り合わせた車内で親しく話をした男性は、北海道から一人で来たらしい。今朝、フェリーで。宿は仙台のカプセルホテル。昨日僕らが泊まったとこだ(笑)被災地周辺はどこも宿がいっぱいで、なかなかとれないみたいですねと言うと、 ボランティアに来るんだから宿なんて粗末なもんでいいのに、市の体育館なんかで雑魚寝でもいいのになぁ、と言っていた。
こういうの、なんて言ったら良いか‥。
公に奉ずる精神。
ちょっとずつの自己犠牲を大勢分集めて、誰かのために動き、祈り、大きなことをなしとげようとする、その一人になろうとする、至誠。
この国にはそんな想いを持った人間がたくさんいて、この国難に立ち向かっている。過去の様々な困難、天災でも戦争でも、そうやって日本人は何度も立ち上がってきた。世界が驚くようなスピードで。
なんだろうこの気持ちは。なんか人助けのつもりで来たのに自分がエネルギーを貰ってばっかりだ。しかもこのブログどうやってまとめたらいいんだろうか。
いや別にまとめなくていいのか、、。またすぐ行くしな‥。またスコップ団にも参加させて貰おう。気温が上がって皆さん大変だろうな。僕は暑さ寒さには強いし体力には自信があるんだ。ペース配分だけ気をつけよう。
それから岩手にも行きたい。大好きな岩手。人手が足りないとこはまだたくさんあるんだろうな。報道されてないけど千葉や茨城も大変なんだろう。いろんな人に話をして、協力してくれる人を増やそう。また違う友達も誘ってみよう。
一人で出来ることは本当に小さなことだろうけど、この美しい国の、心ある人間の一人に僕はなりたい。
もうちょっとつづく
2011年7月13日水曜日
スコップ団 出泥する暮らし 犬のお墓
6月25日土曜日、宮城3日目。今日は朝早くから仙台駅を出て岩沼という駅へ。そこからタクシーで10分位のコンビニへ。ここが集合場所。
「スコップ団」、知ってますか。今、宮城で昇り龍の民間復興支援団体。 blog.goo.ne.jp/cheapdust/d/20110626
大規模に被災した家屋の清掃、復元を独自の方法で行っている。毎週土日。ぜひチェック!↑
今日はそのスコップ団に参加する。
詳細に関してはスコップ団ブログの6/25の活動内容に詳しいが、大規模に損壊したおうちの瓦礫撤去、家財道具の運び出し、ドロのかき出し、清掃を行った。
海から数百メートルにあるお宅。昨日の現場より海岸線に近い。地震直後、津波警報が出たので貴重品などをもって避難所にご家族で移動したが、はじめはそんなにおおげさには考えてなかったそう。ところが帰宅すると、この被害‥。1階部分はほぼ海水に呑まれ、壁はなぎ倒され家具類は破壊されドロまみれに。そして、ここまでの被害を予測しなかったため室内に残してきたワンちゃんが‥。
はじめ現場を拝見した時、これは、、人の手でどうにかなるのか‥?と思うほど、ひどい状況だった。破壊しつくされた壁が、柱が、「家」を構成するすべてのものが、泥まみれになって敷地内を埋め尽くしている。
住人だけの力じゃどうにもならない。だから多くの人が、貴重品や思い出の品を運び出すことすら躊躇したりあきらめてしまう。中には業者に頼んで行ってもらったが、使える物や思い出のつまった大切なものまで全部捨てられてしまった、なんてこともあるらしい。他人にとっては、泥まみれのガラクタばかりに見えてしまうから。
だけどスコップ団は違う。運び出すのはガラクタなんかじゃない。全部大切な、かけがえのない日常そのものだ。むげに扱ったりしてはいけない。無遠慮にどかどか部屋にあがらない。どんなに泥まみれでも、ここはかつて、ここのご家族にとって心の安らぐ場所だったはず、そしてもしも叶うならまたここに住みたいと思って作業を依頼した、大切な場所だから。
黙々と、大きな木片や壊れたコンクリート片を運び出す。今日の参加者は30人くらいだろうか。ネットやテレビ、口コミで参加を希望して集まってきた方たちだ。地元の人も多いし僕らのように遠方からも来てる。
防塵マスク、防塵ゴーグル、二枚重ねた手袋にステンレスの入った長靴。安全のための装備が最高に活躍してる。
皆で手分けをして大きな遮蔽物が取り除かれると、室内への入り口が確保され、地面も見えてきた。いやこれは地面ではなく、もともとのコンクリート地に10センチほど積もった海砂だ。
だけど!みるみる瓦礫が取り除かれ、もとあったはずの空間が取り戻されてく!すごいな!大勢の力を合わせるとこんなことが出来るのか!僕は思わず手を止めしばしば感嘆せずにはいられなかった。元の家のカタチがどんどん見えてくる。
そしてそれにつれ、ここでの暮らしをうかがわせる品々が、あたりまえにあった日常のかけらが次々に出てきた。
ぬいぐるみ、スティッチの抱き枕、食器類、衣類、家族全員分の傘、本、野球ボール、無事だったお酒、写真‥。
それらを並べてご家族に取捨選別をしてもらう。僕は和装が好きなので、着物を何枚か拾い上げた時、手を止めずにはいられなかった。泥まみれだけど、どうしますかと聞くと、ああこれは誰々のいついつ買ったやつだねぇとご家族が言葉を交わし、だけどもうねぇと、首を横にふる。瓦礫の山の上に、たたんでのせた。
休憩の時、庭の片隅に即席で作られた、犬のお墓に手を合わせた。
「スコップ団」、知ってますか。今、宮城で昇り龍の民間復興支援団体。 blog.goo.ne.jp/cheapdust/d/20110626
大規模に被災した家屋の清掃、復元を独自の方法で行っている。毎週土日。ぜひチェック!↑
今日はそのスコップ団に参加する。
詳細に関してはスコップ団ブログの6/25の活動内容に詳しいが、大規模に損壊したおうちの瓦礫撤去、家財道具の運び出し、ドロのかき出し、清掃を行った。
海から数百メートルにあるお宅。昨日の現場より海岸線に近い。地震直後、津波警報が出たので貴重品などをもって避難所にご家族で移動したが、はじめはそんなにおおげさには考えてなかったそう。ところが帰宅すると、この被害‥。1階部分はほぼ海水に呑まれ、壁はなぎ倒され家具類は破壊されドロまみれに。そして、ここまでの被害を予測しなかったため室内に残してきたワンちゃんが‥。
はじめ現場を拝見した時、これは、、人の手でどうにかなるのか‥?と思うほど、ひどい状況だった。破壊しつくされた壁が、柱が、「家」を構成するすべてのものが、泥まみれになって敷地内を埋め尽くしている。
住人だけの力じゃどうにもならない。だから多くの人が、貴重品や思い出の品を運び出すことすら躊躇したりあきらめてしまう。中には業者に頼んで行ってもらったが、使える物や思い出のつまった大切なものまで全部捨てられてしまった、なんてこともあるらしい。他人にとっては、泥まみれのガラクタばかりに見えてしまうから。
だけどスコップ団は違う。運び出すのはガラクタなんかじゃない。全部大切な、かけがえのない日常そのものだ。むげに扱ったりしてはいけない。無遠慮にどかどか部屋にあがらない。どんなに泥まみれでも、ここはかつて、ここのご家族にとって心の安らぐ場所だったはず、そしてもしも叶うならまたここに住みたいと思って作業を依頼した、大切な場所だから。
黙々と、大きな木片や壊れたコンクリート片を運び出す。今日の参加者は30人くらいだろうか。ネットやテレビ、口コミで参加を希望して集まってきた方たちだ。地元の人も多いし僕らのように遠方からも来てる。
防塵マスク、防塵ゴーグル、二枚重ねた手袋にステンレスの入った長靴。安全のための装備が最高に活躍してる。
皆で手分けをして大きな遮蔽物が取り除かれると、室内への入り口が確保され、地面も見えてきた。いやこれは地面ではなく、もともとのコンクリート地に10センチほど積もった海砂だ。
だけど!みるみる瓦礫が取り除かれ、もとあったはずの空間が取り戻されてく!すごいな!大勢の力を合わせるとこんなことが出来るのか!僕は思わず手を止めしばしば感嘆せずにはいられなかった。元の家のカタチがどんどん見えてくる。
そしてそれにつれ、ここでの暮らしをうかがわせる品々が、あたりまえにあった日常のかけらが次々に出てきた。
ぬいぐるみ、スティッチの抱き枕、食器類、衣類、家族全員分の傘、本、野球ボール、無事だったお酒、写真‥。
それらを並べてご家族に取捨選別をしてもらう。僕は和装が好きなので、着物を何枚か拾い上げた時、手を止めずにはいられなかった。泥まみれだけど、どうしますかと聞くと、ああこれは誰々のいついつ買ったやつだねぇとご家族が言葉を交わし、だけどもうねぇと、首を横にふる。瓦礫の山の上に、たたんでのせた。
休憩の時、庭の片隅に即席で作られた、犬のお墓に手を合わせた。
2011年7月11日月曜日
仙台岡田サテライト 希望の苗 海をにらむ
花が咲いてる。
海水がなだれ込み濁流にのまれたはずの場所に、草花はなぜ無事に、いや無事かどうかは判らないけれど、瓦礫のわきで、なぜ花を咲かせられているんだろう。
宮城二日目。ゆうべは結局ホテルがとれず、サウナの仮眠室で横になったがあまり熟睡出来なかった。(ー_ー;)
今日は朝から仙台市津波被害ボランティアセンターに登録。仙台から電車で数駅の小鶴新田という所のスポーツ施設内にあるセンターだ。
こちらでも保険にはただでいれてくれるし装備もいろいろ貸してくれる。水や携帯食料、ビタミン剤までもらえる。いたれりつくせりだ。そんなとこに税金を使う必要がアルノカ?と少し思う。誰かの寄付なのかな。
ま、もらえるものはもらっておこう‥。
さて今日の現場は!
岡田という地区のお宅。津波で乱れた畑の清掃。瓦礫類の除去だ。
海からは400~500mくらいだろうか。このあたりの家々も、少なくとも1階部分は浸水、大破。大規模半壊から全壊の建物ばかりだ。田んぼの中にも車や水上バイク、木材や大きな何かのタンクが転がっている。
小雨が、降ったり止んだりのあいまいな天気の中、作業を開始する。海水がなめたあとの畑の土をやわらかく耕し直す。土に混じったガラスや石を取り除きながら。
ざくざく ざくざく ざくざく ざくざく
耕したあとの土を整えて、苗を植えていく。サニーレタスと、モロヘイヤ。ちっちゃな、みどり色の芽が、点々と増えていく。とても単純に、感動的だ。
休憩は、半壊したおうちの1階部におじゃましてとる。柱以外、なにもなくなったがらんどうの1階で。この辺りはかろうじて水道から水が出る。下水道も一応復旧しているそうだ。
津波の被害が大きかった海抜の低い地域は、家屋が無事だったとしても、行政はもう住人に、出来れば住んで欲しくないらしい。だからかどうかは判らないけれど、そうゆう地域の上下水道の復旧は得てして遅れているそうだ。もちろんこんな大変な、そして悲しいことがあった場所に、そして”危険”なことが分かってしまった土地に引き続き住みたいとは思わない人も多い。
だけど、このおうちのかたは何とかしてこの家に住みたいそうだ。1階部がもうだめだとしても、2階部分をどうにか移築して、住みたい。
立派なおうちだったんだって。広い敷地内に3棟あって親子孫3代で暮らしてた。畑と田んぼがあって作業用の納屋もあった。写真をたくさん見せてくれた。いろんな話をしてくれた。してくれながら、だけどおばさんは元気で楽しそうだった。ご本人も、こんなにたくさん若いひとが来てくれて、今日はとても楽しかったと言ってくれた。震災後しばらくは国や市からなんの救援も無く、この辺りは見捨てられたのかと思っていたそうだ。ボランティアセンターも、実地調査でこの辺りにも何度も来たらしいが、無人の家ばかりで実情把握が上手く進まなかったらしい。
こういう齟齬が、無数にあるんだろう。
午後、予想外のことで作業が打ち切りになる。続報をチェックしてないので詳しいことはわからないけれどアリューシャン列島で(?)地震があったらしく日本列島にも津波が来る可能性があるとかで、センターから作業中止の連絡が。
非常に残念だ。海をにらむ。
更地にされた地平の、数百m先に見える海。海岸線の向こうの空は雲間が見え、歯抜けになった松林に陽を落としている。美しい空と、海だ。
最後におばさんからご挨拶があり、サニーレタスとモロヘイヤができあがったら食べに来てねと言ってくれた。自分の畑と思っていいからね、と。
さて、自転車でセンターまで帰る。岡田サテライトまで。アリューシャン列島から津波がわざわざ来るものか。来たらもてなしてやる。牛タンで。
さてバスと電車で仙台に戻ったわけだけど、今日の現場で知り合った、名古屋から来た二人と一緒に食事をすることに。栄で美容師やってるお二人。休みを利用して日帰りで来たんだって!アツイな。仙台駅付近で、牛タン屋に入る。出逢いを記念して、そして宮城の復興を祈念して乾杯。
マイミクになったからまた会おう。新幹線の時間が近づいて、ダッシュで駅へ。
日本中からいろんな人が、いろんなきっかけで、いろんな気持ちを抱いて集まって来る。来て良かった。
僕ら一行は仙台最後の夜を過ごす宿へ。今日はホテルがとれたのでゆっくり休めそうだ。
海水がなだれ込み濁流にのまれたはずの場所に、草花はなぜ無事に、いや無事かどうかは判らないけれど、瓦礫のわきで、なぜ花を咲かせられているんだろう。
宮城二日目。ゆうべは結局ホテルがとれず、サウナの仮眠室で横になったがあまり熟睡出来なかった。(ー_ー;)
今日は朝から仙台市津波被害ボランティアセンターに登録。仙台から電車で数駅の小鶴新田という所のスポーツ施設内にあるセンターだ。
こちらでも保険にはただでいれてくれるし装備もいろいろ貸してくれる。水や携帯食料、ビタミン剤までもらえる。いたれりつくせりだ。そんなとこに税金を使う必要がアルノカ?と少し思う。誰かの寄付なのかな。
ま、もらえるものはもらっておこう‥。
さて今日の現場は!
岡田という地区のお宅。津波で乱れた畑の清掃。瓦礫類の除去だ。
海からは400~500mくらいだろうか。このあたりの家々も、少なくとも1階部分は浸水、大破。大規模半壊から全壊の建物ばかりだ。田んぼの中にも車や水上バイク、木材や大きな何かのタンクが転がっている。
小雨が、降ったり止んだりのあいまいな天気の中、作業を開始する。海水がなめたあとの畑の土をやわらかく耕し直す。土に混じったガラスや石を取り除きながら。
ざくざく ざくざく ざくざく ざくざく
耕したあとの土を整えて、苗を植えていく。サニーレタスと、モロヘイヤ。ちっちゃな、みどり色の芽が、点々と増えていく。とても単純に、感動的だ。
休憩は、半壊したおうちの1階部におじゃましてとる。柱以外、なにもなくなったがらんどうの1階で。この辺りはかろうじて水道から水が出る。下水道も一応復旧しているそうだ。
津波の被害が大きかった海抜の低い地域は、家屋が無事だったとしても、行政はもう住人に、出来れば住んで欲しくないらしい。だからかどうかは判らないけれど、そうゆう地域の上下水道の復旧は得てして遅れているそうだ。もちろんこんな大変な、そして悲しいことがあった場所に、そして”危険”なことが分かってしまった土地に引き続き住みたいとは思わない人も多い。
だけど、このおうちのかたは何とかしてこの家に住みたいそうだ。1階部がもうだめだとしても、2階部分をどうにか移築して、住みたい。
立派なおうちだったんだって。広い敷地内に3棟あって親子孫3代で暮らしてた。畑と田んぼがあって作業用の納屋もあった。写真をたくさん見せてくれた。いろんな話をしてくれた。してくれながら、だけどおばさんは元気で楽しそうだった。ご本人も、こんなにたくさん若いひとが来てくれて、今日はとても楽しかったと言ってくれた。震災後しばらくは国や市からなんの救援も無く、この辺りは見捨てられたのかと思っていたそうだ。ボランティアセンターも、実地調査でこの辺りにも何度も来たらしいが、無人の家ばかりで実情把握が上手く進まなかったらしい。
こういう齟齬が、無数にあるんだろう。
午後、予想外のことで作業が打ち切りになる。続報をチェックしてないので詳しいことはわからないけれどアリューシャン列島で(?)地震があったらしく日本列島にも津波が来る可能性があるとかで、センターから作業中止の連絡が。
非常に残念だ。海をにらむ。
更地にされた地平の、数百m先に見える海。海岸線の向こうの空は雲間が見え、歯抜けになった松林に陽を落としている。美しい空と、海だ。
最後におばさんからご挨拶があり、サニーレタスとモロヘイヤができあがったら食べに来てねと言ってくれた。自分の畑と思っていいからね、と。
さて、自転車でセンターまで帰る。岡田サテライトまで。アリューシャン列島から津波がわざわざ来るものか。来たらもてなしてやる。牛タンで。
さてバスと電車で仙台に戻ったわけだけど、今日の現場で知り合った、名古屋から来た二人と一緒に食事をすることに。栄で美容師やってるお二人。休みを利用して日帰りで来たんだって!アツイな。仙台駅付近で、牛タン屋に入る。出逢いを記念して、そして宮城の復興を祈念して乾杯。
マイミクになったからまた会おう。新幹線の時間が近づいて、ダッシュで駅へ。
日本中からいろんな人が、いろんなきっかけで、いろんな気持ちを抱いて集まって来る。来て良かった。
僕ら一行は仙台最後の夜を過ごす宿へ。今日はホテルがとれたのでゆっくり休めそうだ。
登録:
投稿 (Atom)