2011年7月2日土曜日

沖縄終戦 仙台 ドロの地平 海の砂

6月23日。奇しくも沖縄戦終結の日。66年前の今日、沖縄での戦闘の敗北が決まり連合軍による占領が始まった。大田実少将の訣別電報、「沖縄県民かく戦えり 県民に対し後世特別の御高配を賜らん事を」にあるように沖縄の方々はその未曾有の国難に身を捨てて貢献した。そして悲劇の第2章が、この日始まった。
東日本大震災。戦後最大級の災害。僕はこれを”国難”だととらえる。トウホクの人が大変、ではなく。国難は国民で共有しなければならない。この僕にもその権利がある。義務の前に、権利が。
国家の受難を共有する権利が私にもある、とあえて危険な作戦を提案した真珠湾攻撃参戦の海軍将校の言葉を拝借して。


早朝、一番のバスで仙台へ向かう車中、携帯の地震警報が鳴る。にわかに漂う緊張。ここ数日の強雨に加え強い揺れか。

午前9時過ぎ、仙台駅に到着。仙台ってすごい都会なんですね‥。そしてこの街もとても平静だ。
何事もなかったようだ。朝の通勤ラッシュ、立ち並ぶ高層ビル。にぎやかな繁華街。

今日の予定はまずホテルの確保、ボランティアセンターの所在確認と、それからレンタカーを借りて被災地を巡る。
仙台駅からまずは大曲、石巻へ。どんよりした空の下、点々とそして徐々に増えていく倒壊した建物。

大曲。初めて目にする、広範囲に津波にのまれた街。曇天のせいだろうか、こんなにも、絶望的に見えるのは、、。どす黒い汚泥にまみれた倒壊家屋。えぐられて沼のようになったくぼみ。川縁から陸に乗り上げた漁船。海まで続く恐ろしいどろの地平。車窓を開けると嗅いだことのない悪臭が鼻をつく。時々見られる、黙々と作業をする重機。素人のボランティア行作業員が手を出せる次元じゃない。
こんな場所に、希望が芽吹くのをは、いつになるんだろうか。他所から来た人間の思いやりとか貢献は、あの汚泥をぬぐえるのか。

ああ、、。




それから石巻。テレビでよく報道される超広範囲被災地のひとつだ。日和山の高台から港湾までの広い市街地を望む。
適切な表現が思い浮かばない。供えられた花々の前に手を合わす。



海の砂は 手のひら何杯分 

何杯すくえば すくいつくせる

ざらざら どろろん  ざくざく どろろ

海よ海よ 

ざらざら どろろ




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