2011年7月1日金曜日

ふたつの現場 家族 四ツ倉のガソリン臭

夏至。一年で最も昼の長い日。僕達にとってもまぎれもなく長い一日になった。
今日も朝からボランティアセンターへ。ホテルの目の前にあったほか弁で朝ごはんと昼ごはんを買って。
もう慣れた感じで登録を済まし、マッチングを待つ。昨日知り合った、作業を一緒に行ったKさんもいる。彼は原発関連の仕事をしていたらしく、いわゆる20km圏内にある自宅から避難所に移り住みそこからこうしてボランティアセンターに通っている。
被災者にも、ボランティアスタッフにも、いろいろ境遇のひとがいるんだろう。当然いろいろな思いを抱えて。
今日の現場は、一人暮らしの60代男性宅。乱れた部屋内のかたづけだそうだ。大きな揺れで散乱してしまった家具や生活用品。一人では運べないものや、なかなか活動的になれない、震災による心境もあるんだろう。とはいえ男数人にとっては軽作業で終わりそうだ。

と、思って現場を訪れたが事態は意外な方向へ。意外。そして震災後の被災地が内包するリアル、震災後生活のディテールを目の当たりにした。
このお宅、地震で散らかったのではなく、もともとかたづけが出来てなかったんじゃないか‥?
スタッフ一同に「‥?」がよぎる。どれをどう片付ければよいかたずねると、、就職や結婚で出ていった息子娘ので、どれも捨てられない、うまく整理して欲しい、とのこと。
とりあえず手を動かし始めてみるものの、、やはりこれは、震災ボランティア対象外なんじゃないか‥?
ひとまずセンターへ電話をし、事情と率直な感想をお話する。

スタッフ間と、センターとのしばらくの話し合いの結果、やはりこの現場はやんわりおことわりすることになった。

被害の大小を区別するわけじゃない。自分のやりがいを優先する気ももちろんない。だけど、できるなら差し迫って助けを求めている方のところへこそ、お手伝いにいきたい。行政は効果的なコーディネートをすべきだし、そもそも”震災ボランティア”に相応しい依頼内容か精査すべきだ。
穿った考え方をすれば、援助依頼をむげに断られたとクレームがつくのを恐れて安易に引き受けすぎてる”お役所”的な体質があるんじゃなか、そんなことも頭をよぎる。

息子さんがたはどうされてるんですか、そもそもご無事なのかとうかがうと、県内に住んでいて無事の確認はとれた。でもどこにいるか正確には知らず、言葉は悪いが絶縁状態のようだ‥。
奥様は、、以前に亡くなっている。部屋に散らかっている物の中に女性の着物がたくさん
あった。積み残された雑誌類、子供の遊具はお孫さんのだろうか。でもずいぶん埃をかぶっている。ベッドの上にちらかったままの衣類。その上に倒れた、おそらく去年からそのままの扇風機。
持ち主は家を出たのに、捨てるなとだけ言われて置き去りになっている生活用品たち。

おかしくないか?あんまりじゃないか。国が、地域が、人々が、家族が、一つにならなきゃいけない時に。
そしてきっと似たようなことが、たくさんあるんだろう。震災をきっかけに深まった絆がある。けれど、あいたままの溝もあるのか。まだいたるところに見受けられる道路の亀裂のように。

センターから直接、巧く話をつけてもらい依頼者宅をあとに。僕が口を挟むことじゃないですけど、息子さんと、連絡取ってくださいね。そう言って失礼する。

気持ちの置き場が見つからないまま、ひとまずお昼食に。そして他の現場へ応援合流することに。
次の現場は四ツ倉という地域。沿岸部で、典型的な津波の被害があった住宅地だ。
すでに午前中から20人以上のスタッフが、道路わき、側溝の泥かきをしている。

このあたりもしかし、被災地全体と比べれば比較的復興作業が進んでいるようで、路面はしっかり見えてるし取り壊した家跡の多くはきれいにならされ、地元の方々の往来も多い。しかし、ガソリンの臭いがあたりにたちこめている、、。破壊された船や車から漏れたのだろうか‥?

こちらの現場リーダーはいかにも土木関係現場仕事的なゴツイおっちゃんだ。ポジティブな大声で全体を盛り上げていた。僕達の士気もあがる。
側溝のコンクリートブロックの蓋を2~3人がかりで持ち上げ、スコップで汚泥をかき出す。この泥からガソリンの臭いがしている。そして泥の中からは、大きな石やガラス、食器、時には写真、カード類などが出てくる。
保管可能なものや、鋭利な危険物を取り除き泥を土嚢に詰めトラックに載せる。現場を選ぶつもりはないと書いたけれど、やはりこういうやつだ求めていたのは。まさに復興ボランティアって感じの作業だ。安全長靴も軍手も防塵マスクもこのためにある。健康な肉体と与えられた機会に感謝する。

休憩中、この近所にお住まいだったご老人が通りがかり話しかけてくれた。海に一番近い、堤防沿いの自宅を、今日取り壊すことになったので最期に見に来たそうだ。大規模半壊になり、取り壊される我が家の最後の日。
地震の時部屋内にいたが、たまたま仕事が休みで家に来ていた息子さんの迅速な判断と誘導で、津波が来る前に避難できたそうだ。方言なのとご高齢なのとで聞き取れない部分が少々あったが(笑)、だいたいそういうことらしい。くったくのない、笑顔でお話ししてくれた。
こうして助かった命と、こうは助からなかった命が、たくさんあったんだろう。

父を助けた息子と、連絡のない家族。



15時過ぎ、作業を終了しセンターへ戻る。作業報告として市ボランティア職員に話さなければいけないことがある。話さずにはおけない現場実態と、感情とが、だ。

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